2010年5月31日月曜日

「もしドラ」と「週刊ダイヤモンド」を読み終えて



なんとか両方とも読み終わりました〜 慣れない読書は疲れます。この程度で疲れるとはレベル低すぎです。


さて良い所はありがたく受け止めるとして、たったこれだけの所までの判断ですが、ドラッカーの言う「マネジメント」は小さな医療機関には当てはまらない所がずいぶんあるなというのが正直な感想です。世間とのギャップを感じます。

おそらくドラッカー自身もそれが解っているからこそ「非営利組織の経営」という本を書いたのだと思います。私達は普段営利企業の方との付き合いが圧倒的に多いので、考え方のギャップに悩む事が多いのですが、もしドラと週刊ダイヤモンドを読んで皮肉にもそれはさらに明解になりました。

例えばキーワードの一つに「良い所を伸ばす」というものがあります。良く言われる「選択と集中」ですね。ちょっと古い記事ですが、実例としてはこんなのがあります。

(日経BPネット)

これはとても良く解ります。しかしそれは大きな営利組織にのみ通用する話し、小さな歯科医院ではそんな事を言ってられません。自分が得意な事ばかりしていたら、苦手だけど必要な事、例えば経理や人事・書類整理なんかはできません。人に任せたり外注するにも限度があります。

しかしそれは経営を行う上でのベースで、技術(医療)とはその上に乗っかって行くものだと思っているのでやらざるを得ません。しかしそれに時間を費やすのは無駄だとドラッカーは述べています。

また「顧客から始めよ」という言葉も、それは顧客が正しい判断力を持っている場合にのみ通用するわけで、顧客(患者さん)が間違ったものや無理な事を望んでいる場合は通用しません。ところが歯科医療とはそのような場合の方が多いのです。

例えば電動歯ブラシ、ずいぶんいろいろ使ってみましたが、結局手で磨いた方がいいし早いというのが私達の見解です。なのに企業は売りたがる。広告宣伝が功を奏し、消費者は不必要なものにお金を使わされている事に気づきません。

営利企業にとっては「売れる商品は良い商品だ」という理屈が成り立ちます。では売れる歯ブラシは医学的に見て良い歯ブラシなのでしょうか?とてもそうとは思えません。だからLIONもSunstarも、スーパーで売る一般用と歯科医院用ではまったく違う商品をラインナップするのです。ずいぶん消費者をバカにした話しだと思いますが、企業経営とマーケッティングを全うに行えば、これは必然です。私はいつもこのギャップに悩むのです。


歯科医療とは往々にして患者さんに不本意な治療を受け入れてもらわなくてはなりません。つまり顧客の意向を曲げるのです。

私達は専門家として真実を解りやすく伝え、命を守る方向に導いて行かなくてはなりません。しかし得てして患者さんは健康や環境を消耗する方になびきます。その方が楽で楽しいからです。そしてそこが人の弱さであり、商売の目のつけどころでもあるわけです。タバコはその典型です。

顧客の言う事ばかり聞いていては、消費者に迎合ばかりしていては、病人が増えるという産業構造に誰も言及していません。医療と商売の大きな違いはこういう所にもあると思います。

顧客が求めている事がすべて正しいという理屈は、見えざる敵が相手である慢性疾患の治療には通用しません。患者さんの意見を曲げてでも命を守る事も必要になります。子供の治療はだいたいそうですが、大人だってあまり変わりません。納得していただくためにはやはり難しい知識が必要で、それを解りやすい言葉で伝えたとしても、腹の底から納得していただけるような事はありません。

ではどうしたらいいか、言葉は悪いですが、患者さんを騙すしかありません。この医者の言うことなら信じてみようと思わせる「真摯さ」が実は一番大切なのではないでしょうか。

医療は専門性が高い分野です。いくら私達が「患者さんのため」と思っても、それはなかなか伝わらず、しかたがないと諦められたり、時としてはありがた迷惑に受け取られてしまいます。

私はオープンセミナーなどで良く話すのですが、歯医者で「歯を抜かれた」とか「神経を取られた」と何の疑問も持たずに患者さんが言うのは、歯科医療がいかに専門性が高く理解しがたい行為なのかの象徴です。

私達は本当は「歯を抜いてもらった」「神経をとっていただいた」と言われたいのです。歯科医師は必要があってしかたなく歯を抜くのっであって、抜きたくて抜いているわけではないのです。

人々は健康を求めてはいます。しかし今ある何かを犠牲にしてまで健康になりたいと考える人は以外に少ないものです。そして何か大きな病気をしたりすると考えを改めたりします。しかし命に直接かかわる事の少ない歯科の病気で、大きく考えを改める人はまだあまりおられません。


マネジメント」にはこうあるそうです。

専門家は専門用語を使いがちである。
専門用語なしでは話せない。
ところが彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。

そこでマネージャ役が必要と言う事です。そしてここで言う専門家とは歯科医師である私の事、マネージャとは最近言うトリートメントコーディネータで、それが歯科医院に必要という理屈が昨今の経営ブームの一端だと思います。

しかし説明には時間が必要です。私達に時間があっても患者さんにも時間がなくてはなりません。またその時間が一致していなくてはなりません。これは日常の診療の中では意外に難しい事です。

日を改めて説明のため来院いただくと、予告していたにもかかわらず「今日は治療をしてもらえないんですか?」と不満げな顔をされる方がおられます。未だに治療とは一方通行なのだなと思ってしまいます。

説明をして「こんなに説明をしてもらえたのは初めて、ありがとうございました」と言ってくださる方は多いのですが、そうではない方もまだいっぱいいらっしゃる。ではありがたみを解っていただける方だけにフォーカスすれば良いのでしょうか。これはこれで難しい問題です。


ドラッカーの言う「顧客から始めよ」や「強みを生かすことは組織特有の機能である」という言葉を真に受けると、それはインプラントしかやらない歯科医師が増えることを良しとすることになります。それは違うと思うのですが、そういう歯科コンサルさんが多いのはこのせいではないかと思います。

一方で「非営利組織の経営」には「強み・ミッション・価値観をマッチさせなくてはならない」という一文があるそうです。顧客である患者さんの価値観とマッチさせる事が医療機関では必要という事です。しかしそのためには表現力が必要です。

私はいつも「表現力なき技術(医療)は無意味である」と思っています。技術が社会に還元される事がなく、技術のための技術であってはならない、あくまで技術は人のためにあると思っています。ですからこの点はとてもよく解ります。

私達は患者さんが気がついていない問題を、まるでコーチングのように「気づかせて」あげなくてはなりません。自分が何を間違って今ここに座っているのかを一番よく知っているのは、たぶん本人です。

しかし自分の健康でありながら、それを医者や健康食品に丸投げする文化が続いている、そんな状態をいったいどうマネジメントすべきなのでしょうか。

患者さんが望まない治療でも積極的に行なう事がその人のためになる場合の方が多い、しかしそんな事ばかりしていたら患者さんは来なくなり、技術は社会に還元されません。表現力にも限界がある、やはり「真摯さ」しかないでしょうか。


思いつくままに書いてみたので読みにくい文章になってしまいましたね。

まぁとにかく営利企業の方々がドラッカーの考えに傾注してゆく中、私はまだ明快な何かを見いだす事ができません。

答えがあるのかどうかはわかりませんが、悔しいのでこれからも少しずつ探って行けたらと思っています。

それからもしドラですが、これは今スタッフも読んでいます。ディスカッションをするのがタノシミです!