2010年12月29日水曜日

ありがとう、S先生

ちょっと湿っぽい話にはなってしまいます。今年もいろんな方との別れがありましたが、まさかこの人がとは。若すぎます。


このBlogをご覧になっている方は去年まで私が日本橋にオフィスを構えていた事をご存知と思います。そしてその前はまた銀座に居た事も。これは銀座から日本橋に移る時の事です。

1997年1月、独立開業を考えていた私は材料屋さんから一件の企画書を渡されました。そこには「日本橋α歯科医院居抜物件」と書かれていました。

「日本橋か〜、悪くはないがどうだろう、、、」と、あまりピンと来なかった私でしたが、いつもの銀座線に乗って10分弱の三越前にあるその歯科医院へ下見に行ったのでした。

行ってみるとそこは実は「S歯科」という名前でした。そして雑然とした院内の奥から現れたのはどこかで会った事があるような顔。「S歯科」という名称から、「あっ、S先輩ですよね!?」偶然とは恐ろしいものです。

「お〜、そういえば君は!」向こうも気がついたようです。と言っても学生時代には話はした事はなく、卒後5年くらいの時に新潟のJONという店で偶然いっしょになり30分ほど話し込んだ事があるだけ。ちょうどその時「日本橋でおじさんがやっていた歯科医院を引き継いで開業した」と聞いたのを思い出しました。

その頃このS歯科を買おうと積極的にアプローチしていた先生がおられたそうですが、先輩後輩とあればそんな話は蹴ってトントン拍子に交渉が進みます。そして2月20日にはもうS歯科は「吉田歯科診療室」と名前が変わっていたのでした。


しかし困った事に、2~3週間の引継後S先生は行方不明になります。こちらは患者さんの事などいろいろお聞きしたい事があったのですが、連絡がとれません。

そんなある日、NTTから一通の手紙が届きます。開けてみると、なんと私が居抜でいっしょに買い取ったはずの電話加入権が競売にかけられ使用停止になると書いてあります。「しまった、そうだったのか!」私はあいかわらず鈍い。

このままでは電話が不通になってしまいます。運が良ければ競売に出入りする業者から買い戻す事ができるかもしれませんが、それには時間がかかるしいくら請求してくるか解りません。私はできない時の被害を想定しさっさと新しい電話を引き、電話番号が変わる旨患者さん全員に手紙を出し事なきを得たのでした。


S先生の消息を知ったのはドイツででした。2000年7月、インプラントの研修で同じグループにいらっしゃったE先生はS先生と同期で同じクラブ、昔は東京でも頻繁に会っていたようです。

E先生は「あ〜、な〜んだ、引継いだのは君だったのか〜、あいつ元気にしてるから今度言っておくよ〜」と。なんだ、それなら連絡の一つもしてくれればな、けど言いにくい事情もあるんだろうなといろいろ考えていました。

そしてついに再会の日が訪れます。2007年9月、熊本で行われた口腔インプラント学会の前日、E先生の計らいで繁華街の馬刺屋に呼ばれた私はS先生と対面します。「いや〜吉田君、悪かったね〜」もうとっくに済んだ話ですし私も過去については何もいいません。それより今何してるんですか〜と。


S先生の訃報を知ったのは昨日の夜、ちょうど五反田での反省会中に馬刺を食べている時でした。3年ぶりの馬刺に私は熊本での事を思い出していました。何かの偶然でしょうか。

S先生は武道系クラブの主将をしていました。小柄ながら隙のない動きで周囲を圧倒するタイプだったと記憶しています。その後は反動で酒飲みオジサンになってしまい、引継期間中は私もずいぶん連れ出されたものですが、その人の良さは見習う所がたくさんありました。

銀座に移転した今も、吉田歯科診療室にはS歯科にあった機材がたくさんあります。そしてS歯科時代からの患者さんも大勢おられます。私がスムーズに開業できたのはもちろんS先生のおかげに他なりません。

今私のコンピューター画面の右端には白衣を着てVサインを出すS先生の写真が出ています。前述の初めて訪れた時に撮った写真です。初期のデジカメなので写りは悪いですが「吉田君、後は頼んだぞ」と言っているように見えます。

53歳というのはあまりに早い、さぞや無念であった事でしょう。ありがとう、S先生、あなたのおかげで私はここまで来れました。
合掌