なかなか辛かったですね、訳本とはこういうものですが日本語として不自然。筆者の意図を壊さないように訳すのはたいへん、かと言って原著を読むのは不可能。文句をいっちゃぁいけません。
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しかし本当に辛いのはその中身。多くの人が宗教の如くドラッカーに傾倒して行く中、私には数々の疑問が湧き上がります。およそ医療の現場には当てはまらない文章がたくさんでてきます。なのに実例として病院は何回も出てくる(最後の方では本当に歯医者が出てきます)、ならば日本の歯科医院だけが特殊なのか?そんな気もしないではありません。
知識の仕事への適用、知識労働者たること、得意分野に集中し古いものは捨てる、知識だけが意味ある資源であると言いきる、そしてそれがイノベーションである、、、私にはとても乱暴な表現に聞こえます。
確かにこの一冊を読んだだけで、ドラッカーが昨今の経営セミナーや自己啓発系セミナーの原点になった理由が解ります。「選択と集中」「時間管理」「成果と目標」など、その手の話で必ずと言ってよいほど出てくるキーワードは、実はここから出てきたんだなと思わずニヤリとしてしまいます。
そしてもちろんそれらが腑に落ちなかったのと同様に、当然本書もどうもひっかかる所が多すぎます。
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本書は一貫して「知識労働者」たる者の考え方や行動について述べています。そしてその対局にあるのが「肉体労働者」です。成果をあげるためには何が要るのか、解りにくくも伝わってきます。生産性の向上の仕方が解明されほぼ達成された今日、成果を上げるにはあえて肉体労働をする必要はないという事です。
では肉体労働の必要性は何でしょう?存在意義はどうでしょう?それは知識のない者がする仕事なのでしょうか?そして彼らの手にする成果とは価値が低く低賃金でもしかたがないという事なのでしょうか?私はそれはとても危険な思想であると思います。
仕組みを造った者が勝ち・自分は好きな分野に集中し後は他人に任せる・不労所得者を目指せ、自称コンサルさんが良く言う事です。ドラッカーの言葉を真に受けると確かにこのようになるのかもしれません。
たしかに人間何歳までも肉体労働ができるわけではありません。しかしみんながみんな知識労働者に走ったら、実際に行動する肉体労働は誰がするのでしょう?すでにある職種では、外国人労働者に依存せざるをえなくなっています。彼らには最低の知識しか必要ではありません。
では肉体労働の必要性は何でしょう?存在意義はどうでしょう?それは知識のない者がする仕事なのでしょうか?そして彼らの手にする成果とは価値が低く低賃金でもしかたがないという事なのでしょうか?私はそれはとても危険な思想であると思います。
仕組みを造った者が勝ち・自分は好きな分野に集中し後は他人に任せる・不労所得者を目指せ、自称コンサルさんが良く言う事です。ドラッカーの言葉を真に受けると確かにこのようになるのかもしれません。
たしかに人間何歳までも肉体労働ができるわけではありません。しかしみんながみんな知識労働者に走ったら、実際に行動する肉体労働は誰がするのでしょう?すでにある職種では、外国人労働者に依存せざるをえなくなっています。彼らには最低の知識しか必要ではありません。
私は思います。実際に行動するのは肉体労働者、肉体労働がわからない者に知識労働はできないと。巨大な組織ならともかく、小さな歯科医院などでは全員がトップアスリートの様に頭と体が同時進行、そして瞬時の判断が成果を左右します。
医療や介護の現場はほぼ肉体労働者で成り立っています。およそ知識労働とは言えない状況です。そしてその仕組みを造ったのは、現場を知らない知識労働者です。詳しくはありませんが、農業もそんな感じに見えます。必要性は誰もが理解していながら低賃金で労働条件が過酷であること、そして自然が相手である事で共通しています(このへんは異論がある方が多いでしょうね)。
医療や農業が日本では衰退産業になっている、そんな事はないという人に言いたい。あなたは進んで自分の手を汚しているか?火中の栗を拾う仕事をしてるか?わざと下手に出て、実は高見の見物をしていないか?
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ドラッカーの言う事をそのまま日本の歯科医院に当てはめるとこうなります。正しいものもあれば、そうではないものもあります。
【古いものを段階的に廃止し、成果が上がる事に集中する】
【古いものを段階的に廃止し、成果が上がる事に集中する】
これはいろいろなパターンが考えられますが、
【知識労働者になる】
- 保険診療はやめて、自由診療に特化する
- 苦労のわりに報われない根管治療はやめて、抜歯してインプラントにする
- 患者さんに解りやすい審美歯科に特化する
- 根管治療や歯周治療はせず、直ちに連結ジルコニアクラウンを装着する(最近こういう治療が増えています・・・)
【知識労働者になる】
- 歯科の保険医療はあまり選択の余地がなくほぼワンパターンですから、肉体労働者に極めて近くなります。もしかしたら効率の点では良いかもしれません。しかしやりがいは少なく、スタッフの入れ替わりが激しいのは当然です。もっと皆が考え、患者さんのためになる事をやり成果をあげたい、しかし日本の歯科医療はそれを許しません。
- 院長はしだいに経営者になって行き、現場から離れて行ってしまいます。
大きな組織で新陳代謝が必要な所ではそうですが、個人経営者は同じ仕事を40~50年続けざるを得ません。しかしそこにも価値があるはずです。長く続ける事が迷惑な職種とそうでない職種がある事を忘れていないでしょうか。
・・・とまだまだいろいろありますが、このへんにしておきましょう。
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訳者は巻末でこのように述べています、「ドラッカーは、常に正しい」。
ネット上には本書の書評がかなりありますが、ざっと見る限りは私のようなものの見方をしている人はおられないようです。
本書は先見性がありひじょうに示唆に富んだ内容であるものの、両手を挙げて素晴らしいという感じではありませんでした。大きな営利組織と小さな歯科医院、あるいは医療介護の現場との隔たりはあまりに大きいと実感させられた一冊でした。
これは非営利組織の経営も読まなくてはならないようです。ドラッカーの本の中では最も人気のない本らしいのですが、なんとなくうなずけます。
さて、成果をあげたくてもあげる事が許されない、必要なのに誰もやりたがらない、今日本はとても危険な思想が幅をきかせているように見えます。
ドラッカーはポスト資本主義社会は知識社会であると述べています。そしてこの本を読む限り肉体労働は価値が低いものとみなしています。しかし私の意見は違います。知識と肉体が高度に集結し、一人一人がトップアスリートのようになる事、ポスト資本主義というものがあるとすれば、そういうものではないのでしょうか?「資本」とは決して金融資本だけではないのですが。
p225でドラッカーはこう述べています。
先端的な場所にいる者は
自らの知識を理解させる責任を負うとともに、
そのための大変な作業を進んで引き受けなければならない
先端的な場所かどうかはわかりませんが、今私達はまさにこれを実行しています。まだまだ力がたりませんが、徐々にお伝えして行こうと思っています。
ワケあっていろいろな本を読んでいますが、少しずつ感想を書いて行こうと思います。あ〜、長くなっちゃいましたね〜