2009年5月8日金曜日

移転四方山話・2 私にとって銀座とは

ご存知の方もおられると思いますが、私は日本橋で開業する以前、けっこう長い間銀座で仕事をしていました。銀座は私を育ててくれた街であり、想い出の街です。ですから私の中では今回銀座に「行く」というわけではなく「戻る」という事になります。

「銀座に移転になります」と言うと「すごいですねー」とおっしゃる方も多いのですが、生意気にも私には正直それほどでもという感じなのです。

確かにこのご時世ですので、無茶な話に聞こえるのも当然です。しかし4年も探していたわけですから、もしその時に移転していたらと思えば関係ありません。それに新宿や丸の内だってすごいじゃないですか。

私は1985年に大学を卒業し、すぐに新宿の歯科医院に勤務しました。その医院には分院がいくつかあり、同じ年に銀座がオープンしました。そのうち私は非常勤で銀座へ出向く事も増え、87年には銀座常勤となりました。その後その医院グループからは一旦離れたものの、92年には再び戻ってきたという経緯があります。

私が銀座を去ってから12年もの歳月が流れました。今改めて歩いてみると、その様変わりはたいへんなものです。なじみの店は1軒しか残っていません。通っていたスポーツクラブも、いわゆる銀座のクラブもありません。当時患者さんだった近隣の方々ももうどこかへいってしまったようです。

そしてその頃の医院、これももう今はありません。周辺の再開発に飲込まれ、その場所では毎日大きな槌音が響いています。

そう、銀座は私の中ではすでに終わった街でした。想い出と共にあればよかったのです。そんなわけで、当初この移転話にはそうとうな違和感がありました。何を今更と。

私は深夜の四丁目交差点で一人ポツンと考えてみました。12年前、私がここでやっていた事は何だったんだろう、何を学び、何がどう今に繋がっているんだろう、それからやり残した事は何だったんだろうと。

やり残した事、、、なんだ、まだいっぱいあるじゃないか、と不思議な事にまた新たな目標が見えてきたのです。


この場所で仕事をする事は二度とないと思ってました。しかしまた銀座で仕事をする運命に、私は毎日毎日とっても不思議な気分でいるのです。