2009年4月12日日曜日

桜はなぜ水辺に向かうのか?

すでに東京は「葉桜」満開になってしまいました。路面は花びらでピンクに染まり、お掃除がたいへんそうです。ごくろうさまです。

写真は先週ちょうど満開になった時の近所の桜並木です。日本人に生まれて良かったと思う瞬間ですね。

さて表題の件ですが、毎年毎年とってもとっても疑問に思っています。なぜ桜の枝は路を避け、水辺へ伸びてゆくのでしょうか?

皇居に行っても、千鳥が淵に行っても、おそらくどこへ行っても同じでしょう。では水辺のない靖国神社はというと、枝は360度まんべんなく広がっています。

私はきっとこれは「車が通れるように、誰かが切っているんだろう」と思っていました。残った枝は伸び放題で、重みで垂れていった結果がたまたま水辺に向かっているように見えるのだろうと。

しかしこれはどうも違うらしいのです。実は写真の桜並木は5年前に整備されたもので、路面から3mほど下を流れる川の護岸工事のため古い桜が移設され、換わりに新しい桜が植えられたものです。

最初はヒョロヒョロだった木も今では人間で言えば中学生くらいの逞しさになり、私は毎朝その成長ぶりを眺めながら通勤しています。だから解るのですが、車が通るために剪定された形跡はないのです。

という事は桜は自分の意志で、ちょっと変ですが潜在意識で人や車を避け、その一方で路面より低い水辺に向かっているという事です。そんなバカな?

じゃあどういう事なんだと勝手に想像してしまうのですが、路面側の枝はちょうどトラックが通れるくらいの高さです。うまいです、親切です。さすがは桜さん、気が利いています。まるでどうぞどうぞと言っているようです。

一方、水辺側の枝はどんどん下へ伸びてゆきます。水は根っこから吸い上げているはずなのですが、まだ足りないのでしょうか?けど水辺に誘導されてゆく、これも何か人間的ですよね。

本当はもっとしっかりした科学的な理由があるのでしょう。しかし桜に人間味を感じてしまうと、なぜか本当の事は知りたくなくなってしまいます。私はこれでも自然科学系の人間です。どうしたらいいんでしょうね。