上の写真右のシルバーのカメラがそれ、今でこそ当り前のデザインかもしれませんが当時としては画期的で、小さな四角いボディを首から下げて見せる縦型にもなるデザインがとても新鮮でした。
イメージキャラクターに中田英寿を起用していた事もあり、IXYはCanonの一大ブランドとして大きな成功をもたらすシリーズに成長しました。お隣のゴールドのカメラは先輩所有の最近のIXYなのですが、そのデザインコンセプトは現在の製品にも脈々と受け継がれています。
その私のIXY、一年ほど前まで診療室内で患者さんの顔写真を撮る専用機として使っていました。しかしさすがにバッテリーが持たなくなってきた事と、どうもスタッフがピントを外した撮影しかしないことを理由に引退となったものです。(最近のカメラは顔認識機能があり、誰がとっても顔のピントは外しません)
しかしこの優れたデザインは今でも充分通用するもの、捨てるのもなんなので手元に置いておく事にしています。
私のIXYは確か2001年にアメリカの学会に参加する直前に買ったもの、つまり発売から10年程経過しているものです。
これはもうやってはいけないのですが、当時学会でスライドやパワーポイント画面を会場で撮影するために買ったカメラです。
学会発表とは限られた時間に話しを詰め込みますから後になって「あの画面はなんだったんだ?」というシーンがあまりに多く、それでは困るのでカメラで撮っておこうという事です。
しかしやはり後ろめたさはあり、前の人と人の間からこっそり撮影していたものでした。ところがいざ撮影しようと電源を入れると「ジャー」という大きな音で沈胴式のレンズが前にせせり出てくるしまつ、その後私の愛用カメラは沈胴式ではなく屈折式のSONY Cyber Shot Tシリーズへと遷って行ったのでした。
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これはもうやってはいけないのですが、当時学会でスライドやパワーポイント画面を会場で撮影するために買ったカメラです。
学会発表とは限られた時間に話しを詰め込みますから後になって「あの画面はなんだったんだ?」というシーンがあまりに多く、それでは困るのでカメラで撮っておこうという事です。
しかしやはり後ろめたさはあり、前の人と人の間からこっそり撮影していたものでした。ところがいざ撮影しようと電源を入れると「ジャー」という大きな音で沈胴式のレンズが前にせせり出てくるしまつ、その後私の愛用カメラは沈胴式ではなく屈折式のSONY Cyber Shot Tシリーズへと遷って行ったのでした。
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さてこうして2台のIXYを比べてみると、10年の技術の進歩に驚いてしまいます。まずはこの厚み、半分になってしまいました。これぞ日本のモノヅクリ力!
操作系も大きく変り、倍以上の大きさの液晶が付いています。
また当時は上の写真のようにボディより充電器の方が大きかったものでした。せっかくカメラが小さくなったのに、周辺機器はまだまだという時代でした。
最新型はもちろんバッテリーが大容量化され稼働時間はぜんぜん上、もちろん画質は比較対象になりません、そして先程の「ジャー」という沈胴音もなくレンズはスッと出てきます。なるほど10年の進化は凄いなと思わされます。しかし、、、
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実は本題はここからです。
カメラは、と言うより、技術はどこまで進化すれば良いのでしょう?基本的に理系の私は技術を追求しようとする人の考えは充分理解できます。
しかしその一方、これ以上良いものを造ってどうしようというのか、それよりも他にやる事があるのではないかとも考えます。
日本橋時代は秋葉原が徒歩圏であったこともあり、良く歩いてみたものですが、発売して半年もしないうちにもう新製品が出て、どんどん陳腐化してしまう技術競争の行く末に空しさを感じていました。
技術とは何のためにあるのでしょう?ともすると技術のための技術・他社を負かすための技術であって、本当にユーザーの事を考えた技術であったのか疑問に思う事があります。日本の携帯電話などはそのよい例です。
高機能化はほどほどにし、それよりも省エネルギー化を進めたり、人にわかりやすいインターフェースを考え、そして長く使う愛着感のあるブランディングを追求する方が今や大切ではないかと思うのです。IXYはその点でとても良いポジションを造った希な製品だと思います。
しかしそれでも今後は安泰ではありあせん。2台のIXY見て思うのは外観や性能の差はもちろですが、今までの10年とこれからの10年はまったく異質なものとなる予感がする事です。もちろん技術革新でぜんぜん違った製品が造られて行く事でしょうが、ただそれだけではいかにCanonと言えども苦しいのではないかと思うのです。
これはどういう事がと言うと、デジタルカメラはすでに国内は飽和市場で、海外に販路を開拓して行くしか生き残る道がありません。ところがそこにはすでにSAMSUNGなどが確固たる地位を築いており、日本のメーカーは技術はあっても完全に立ち後れています。
ではどうするか?そこには「日本」の美意識を売り込むしかないと思うのです。これは一筋縄では行きませんが、「日本製だから買う」というイメージを造って行くしかないのではないでしょうか。それには日本人が国際的に尊敬される存在でなくてはなりません。「やはり日本製はいいね」「日本は憧れの国だ」と言わさせなくてはなりません。技術とは別の見方でブランディングして行かない事には、日本の企業はどんどん疲弊してゆくように思います。
なのに政治を見ていると、どちらかと言えば日本はバカにされるような事を続けています。技術立国を目指すと言いながら、私の目には政治がその足を引っ張っているように見えてしまいます。
Canonが一生懸命築いてきたブランド IXY。これからの10年は技術力でトップなのは当り前、それ以上に一企業の努力だけではどしようもない付加価値が被さってくる運命にあると思うのです。残念ながらそれは日本にいては気付きません。一個人がグローバルな視点で考えないと、ますます日本は孤立化・ガラパゴス化して行くだろうなと思います。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、この事を自分の仕事に照らし合わせてみてまた考えて見ようと思います。