2016年8月4日木曜日

新しい iPhone はジャーナリストを喜ばすための道具なのか?



毎年この時期になると、次のiPhoneの噂が聞こえてきます。秘密主義のappleといえども、中国の工場群を完全にコントロールできるわけではなく、部品などの流出画像がネットにアップされて行きます。

過去の例に倣うと今年は iPhone7 になるところですが、噂系サイトによると 7 は来年の登場で、今年は6SE になるだろうと報じています。外観がほとんど変わらないので7を名乗るには役不足という判断なのかもしれません。

もちろん中身は大幅な進化があるでしょうが、それでは期待外れと嘆く人達がいます。それがジャーナリズムです。

噂どおり新型iPhoneが発売されるなら、IT系ジャーナリト達はこぞって以下のように発信するでしょう。

  • appleはもうだめだ
  • appleにイノベーションは起こせない
  • 株価の低下はappleのせいだ

しかしいったい誰が毎年新しいiPhone を出すと約束したのでしょう?どこかで(主に日本)新しい技術の新しい部品が生まれ、それを大量買いして付加価値をつけて市場に流す、これがapple のビジネスモデルです。新しいパネルや電池を造っているわけではありません。なのになぜ彼らはappleを標的にするのでしょう。

結局彼らは新しいっぽい機器や仕組みが出てこない事には、売れる記事が書けないのだと思います。また進化は無限に続くものと思い違いをしているのでしょう。iPhone登場から今日までのワクワク感に便乗し、それをいつまでも期待している。表面的な変化が止まった時、その腹いせにネガティブな記事を書く、以前もそのような事がありました。

毎年出る新製品に踊らされるのは使い捨て文化に慣れ親しんだ日本人だけと思っていたのですが、ITの出現で世界中がそうなってしまったかのようです。

「良いものを時間をかけて作り上げ、丁寧にメンテナンスしながら長く使う」私は仕事上このようなコンセプトを持って診療をしているのですが、ニュースなどを見ていると産業界はそれとは対極にあるのだなとよく思います。

もちろん完全個別対応の小規模医療機関と、グローバルな大量生産企業との比較は乱暴ですが、しかし私は人々の心が非常に短絡的で結果を早く求めすぎる方向に急速にシフトしているのを懸念しています。歯科医療の現場でも結果を早く出したがり、中途半端を繰り返す人が多いのと無関係ではないような気がします。

技術が進化するのは当然でありがたいものですが、数年前のものを陳腐化させ使い捨てを推奨するようなビジネスはどうでしょう。そしてそのような文化を煽り、コバンザメのように振る舞うジャーナリズムにはいつも違和感を覚えます。

人はいつも自分が進化し続けられるものと勘違いをしています。経済も成長し続けなくてはならないという幻想に取り憑かれています。確かに進化ができなくなれば、他の産業国にやられてしまうという危機感はありますが、ジャーナリズムは現状批判だけでなく、ソフトなどへのリソース転換を促す論評をもっと出すべきだと思います。つまり表面的な進化の論評だけではなく、中身の進化にもフォーカスするべきです。

それにより開発に伴う苦労や感動が世に知られ、働く人の励みとなり、そこに続く人の期待感を高められる、産業界を活性化させるエネルギーとなる記事を書くことこそ彼らの仕事になるべきです。

しかしもし、そんな記事は売れないという事であるならば、悪循環を助長するたいへん嘆かわしい時代と言わざるをえません。

さて、私は2年前のiPhone6を使っていますが、性能に全く不満はありません。バッテリーの疲労も少なく、ポケモンGoをやるわけではないので、まだまだそのまま使えそうです。

私にできることと言えば、良いものを長く使うことの大切さを歯科医療を通じて発信して行く事です。しかし時代は本当に刹那的になりましたね。