2018年3月11日日曜日

3.11で出会った医師〜働き方改革



今年は今までとは少し違った角度から3.11を書いてみます。私は宮城県内の二カ所に検案(身元確認作業)に行ったのですが、その時のことです。

検案所にご遺体が搬送されると、まず警察の鑑識係が写真を撮り、その後派遣された医師が所見をとり、死亡診断書を作成します。

日中の出来事でしたからポケットに運転免許証などが入っており、身元の特定が容易なかたも多かったのですが、もちろんそうでないかたも大勢いらっしゃいました。

またほとんどのかたは津波による海水に浸かっており、顔は水分により大きく膨れ、身内でも当人の識別ができないほどになっています。

そこで歯科医師の出番です。私たちの仕事は「歯の治療痕」などをチャートに記載すること、そしてその後「類似したカルテと照合し、身元を特定する」ことです。

私が派遣された日は割と時間に余裕があったので、警察などいろんな人とお話をする機会がありました。そしてその中には、医師の方も何人かおられました。

私は東京から来たただの開業歯科医師ですが、彼らはどこから来た何科の先生なのでしょう。そしてどういうきっかけで、ここに来たのでしょう。私は名刺を差し出し、ここに来た経緯などを話して行きます。が、どうも様子がおかしい。

実は驚いたことに、何人かは普段仕事をぜんぜんしていない医師だったのです。夫婦で来られているかたもおられましたが、二人とも医師でありながら仕事をしていない… 悪く言えば、暇だから来たという感じなのです。だから名刺もありません。

医師の仕事は激務であり、それに耐えきれず病院を辞める人が多いとは聞いていましたが、話をして行くとそういう境遇の人らしいことが判りました。

今思えば、顔も言動も暗く、鬱っぽい感じです。医師としての活躍の場があると聞き、時間もあるから来てみたが、やっぱり嫌だから帰る…と言うのです。

そしてそのような医師が検案のために被災地に多く来ていることを後で聞きました。少数じゃないんだ…

せっかく医師免許を持ちながら、それを活かさない、むしろ後悔している人がいることに私は驚いてしまいました。

確かに人間、適正というものがあります。医師のだれもが臨床をする必要はなく、他にも研究者になったり、行政やジャーナリズムに携わるのも素晴らしい仕事です。

しかし仕事に疲弊し、ほぼ引きこもりになっている医師もいる、検案に赴く人はまだ良い方なのかもしれません。

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近年、働き方改革が多方面で叫ばれ、医師の労働時間にも焦点が当てられています。

しかし理解は進まず「医師は聖職者であり労働者ではないので、労働基準法には当てはまらない」などと暴論を展開する人すらいます。

日本の医療単価は、諸外国に比べて極端に安い事をご存じでしょうか?なぜそれで成り立ってきたのか、それは医師の使命感とやりがいの上に制度が成り立っており、破格で運用されているからです。

管轄である厚生労働省の中で、厚生側は収益率を下げ超過労働せざるをえない環境を作っている一方で、労働側は時短を強制してきます。一つの省から矛盾した二つの条件を押し付けられている状況で、持てる力を発揮できる医師はいるのでしょうか。医師も人間ですから、中には逃げ出す人もいるでしょう。

震災から7年が経ち、労働環境や社会の複雑さはさらに加速しています。能力のある人のやる気が削がれ、行き場が無くなっている状況は、さらに加速しています。

医療全体を見てみれば、予防を軽視し医療制度に依存している患者・疲労した医療制度に打つ手がない行政・疲弊し現場から離れて行く医師、そして医師自身も患者になるという悪循環。

命の専門家である医師までも、このような人が増えているとは、社会を俯瞰すればとんでもない事になっているという事です。

さてあの時仕事をしていなかった医師たちは、今どうしているのでしょう。志半ばで命を断たれた人々を多く見てきたのですから、何かを考えてまた命の現場に戻っていてくれたらと思っています。

(写真は検案所となった宮城県利府市のグランディ21 サッカーW杯の会場となった施設です)



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