2012年6月9日土曜日

新潟交通電鉄 プチ廃線の旅

長崎広島を訪れて思ったのは、「新潟にも路面電車があったらどんなに良かっただろうな」という事。学会で訪れたニューオリンズもヨカッタ。

けどあったんです、新潟にも、路面電車が。新潟交通電鉄という名前です。しかし平成3年に非常に中途半端な形で運行していた路面区間が廃止され、平成11年には完全に廃線となりました。

本当はこの路面電車は新潟の繁華街「古町」を通り、万代橋を渡り新潟駅に達するはずでした。しかし当時の県庁前でなぜか終点、とてもとても中途半端な路線でした。もしこれが実現していたら、新潟はまったく違った街になっていたでしょう。

どこの路面電車もそうですが交通渋滞の元凶として扱われてきました。しかし今存続するものを見る限りそれを上手に街造りに活かしています。

新潟交通電鉄は路面区間と住宅田園区間がありました。実は後者は私の小学校の区域を通っていました。しかし私が載った事があるのは幼少(4歳くらい?)の頃、両親と白根あたりにお花見に行った一回だけ。今頃になって、あの電車はなんだったんだろう?と思い、先週新潟に行ったのを機会にちょっと廃線を歩いてみました。


歩き始めはJR越後線関屋駅。駅舎も新しくなり、関屋分水ができる前後の地図がありました。これについてはまたいつか。


天気は最高!新潟交通電鉄東関屋駅があった場所は信濃川にほど近い所。当時操車場があったあたりはマンションが立っていました。


関屋分水を渡る橋、この左側に軌道があったはずでしたが、跡形もありません。


国道を渡る架橋はそのまま。右は近隣のジャスコのために造られた東青山駅の跡。新しく土が盛られ、公園として整備されるようです。そのジャスコも今はありません。あんなに大きく賑わっていたのに、とっても不思議です。


旧平島駅付近から旧東青山駅方向を望むとこんなかんじ。この辺りは私の小学校区でした。


と、突然キジバトか何かが出現。のどかです〜





すでに線路などは撤去されていますが、橋まではできないようです。


歩いて来たのはここ、旧寺地駅あたり、新潟脳外科病院裏手です。ここは父が亡くなる直前まで勤務していた病院、父は自宅からここまで徒歩で通っていました。


さすがに時間切れ、歩くのも限界。しかしあまりに天気がよかったので、信濃川を渡って新潟駅に向いました。写真は平成大橋の電灯です。

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しかしまぁ廃線てのは寂しいですね。私はほとんど縁がなかった電車ですが、地元の方はやはり寂しかったのではないでしょうか。

先にも書きましたが、もしこの路線が予定通り新潟駅まで伸びていたら、本当に全然違っていたでしょう。

ちなみに万代橋はその軌道が載る予定だったので、建設当時としては幅の広い橋を造ったのだそうです。現在片側2車線が確保できているのはそのおかげだそうです。

新潟市のシンボル 万代橋
新潟市は現在繁華街と言われて来た古町地区がとても寂しくなっています。これは都市計画がバラバラで、拠点が分散してしまった事が原因だと思います。

なんでもいいからどこかに新しいものを造るのではなく、古い物を大事にしてそれを活かし住む人も訪れる人も愛着が持てる街造りが必要だと思います。高度成長期はそれをないがしろにしてきたのだと思います。残念でなりません。


さて旧月潟駅には、なんと古い車両が保存されているのだそうです。この写真は4月の顕微鏡歯科学会で実行委員長をやっていただいた菅原先生から送っていただいた物です。実は彼の家はこのすぐ近くなんですね。カボチャ電車とよばれた色合いが懐かしいです。いつか行ってみよう思います。

【参考サイト】