2019年3月11日月曜日

3.11に想う 物作りから心作りの時代へ


3月11日を迎えました。今年も、東日本大震災で検案(身元確認作業)に行って思ったことについて書きましょう。

私が初めて行った日は震災からけっこう時間が経っていましたから、戦場のようだった検案所もだいぶ落ち着いた頃でした。犠牲者が次々と運ばれてくる事もなかったので、警察や自衛隊などの関係者とお話する時間がけっこうありました。(警察の方からはコーヒーをいれてもらいました)

検案場はワールドカップサッカーが行われた大規模施設内の体育館の一画で、シートを隔てた隣は広大な遺体安置所になっています。シートをくぐると、目の前に整然と並べられた多数の棺に言葉を失います。

遺族の方も何人かおられます。茫然と立ちすくむ人・すすり泣く人… 見ているこちらは、どうしたらよいのか判りません。

地震は日中の出来事でしたから、ポケットに免許証などが入ったままで身元確認が容易な方が多かったようです。

身元が確認できた人の一覧表も張り出されており、それを何度も見直し、知人がいないかどうか探している人もいました。しかしその方は知人の名前を見つけることができなかったようで、うなだれて検案所を後にしました。

一方で、早々に住所氏名が判っているのに、いつまで経っても遺族が現れない、そんなご遺体もけっこうあります。

それから免許証が入った財布がポケットにあるにはあるのだが、なんと6つもあり、どれが本人のものか判らない???というご遺体も…  つまり津波の第一波では命が助かり、そこで火事場泥棒(津波泥棒?)をし、第二波で命を落としたという事のようです。関係者は、どうやって家族に説明したらよいかと困り顔です。こんなことってあるんだ…

さて、遺体と対面できた遺族はまだ良いのかもしれません。過酷ではありますが、早々に現実を知ることで、次に向かうことができるからです。

おそらく一番苦しいのが、身内が行方不明のままのご家族です。いつまで経っても「きっとどこかで生きているはずだ」というい期待を拭い去ることができないまま引き摺ってしまうからです。8年経っても、なかなか気持ちが切り替わることは難しいと思います。

震災で未だ行方が不明のかたは、まだ2,500人以上もおられるそうです。そのかたのご家族のどれほどの方が、気持ちを次に切り替えられたのでしょう。

震災の復旧はだいぶ進んだ感があります。しかし、復興にはまだ程遠い。物は揃ってきましたが、心の復旧はまだまだ。

とかく日本は物作りには熱心ですが、心のケアとか自律心を育む心理療法などは、とても遅れていると思います。大切とは誰もが考えるでしょうか、どうしてもモノが優先になってしまいます。

日本人のモノ信仰は、震災を持ってしても変えることは出来なかったのでしょうか?大切さは解っているのですから、みんなが「心作り」を考える習慣をつけることで、日本は変わって行けると思うのですが。

さて今日は、震災関連のイベントやテレビの特別番組が多数あったはずですが、このような話題がどれくらいあったのでしょう?

とにかく、モノだけつくって終わり!とならないことを願います。

なお上の写真は、検案所の外に咲いていた小さな花です。

【参考】
  1. 3.11で出会った医師〜働き方改革
  2. コンビニからすべての食料が消えた日
  3. OpenSeminar vol.54 をやりました
  4. 3.11 あれから自分は何が変わったのだろう…
  5. ちょこっとボランティア