名前はEG-700S。エレクトリックギターの7万円で色がサンバースト、という意味から来た型番です。ずいぶんとベタな名前ですが、昔の国産ギターはみんなこんな感じの名前がつけられてました。だから2000とか聞くともう目玉が飛び出たものです。(20万円という事です…)
で、このエレキギター、今も私の机の横で大切に保管してあります。お掃除ついでに、十何年ぶりにケースから出してみました。ちょっと緊張します!
弦は張ったまま、トラストロッドも緩めてないので、ネックが心配です。ま、とりあえず眺めるだけですから。
1弦が切れているのはともかく、ボディ背面には縦にヒビが入ってました(泣)。天然木ですから経時変化は免れません。
さてこのEG-700S、見る人が見れば相当な改造ギターである事が解るはず。エレキギターの配線とはけっこう単純で、簡単な電気の知識と半田ゴテが使えれば、様々な改造ができるのです。
電気系は懐かしのBill Lawrenceのピックアップに始まり、トーンコントロールはPush/Pullスイッチ付に交換し、シングルコイルに切り替えます。
また本来リアピックアップのボリュームがある位置に、なんとピックアップの切り替えスイッチを持ってきて、フロント用ボリュームの位置にはこれまたなんと二連バランス用ボリュームを持ってきて、前後のバランスを調整します。
全体の音量は?それはフットペダルでやっちゃいます。私が一番最初に買ったエフェクターはボリュームペダル、ってのも珍しい!?
では本来切り替えスイッチがある場所には?実はここには6段ロータリースイッチが着いており、位相を反転させたり(当時流行のハーフトーンというピーキーな音になります)とけっこう複雑な回路を組ませて遊んでました。
またナットとブリッジはブラス(真鍮)製に、テールピースはリリースされたばかりのチューニングコントロールノブ付きに交換、どれもライブでの操作性を重視した結果です。こんな私でも高校〜大学時代はバンドでステージに立っていたのです。ちょっと驚きでしょ!?
という事で当時の私はギター改造オタクで、「ロッキンf」という雑誌に出たりしていたのでした!
さてなぜに正月明けかと申しますと、これを買った時期だったからです。スタンプカードを見ると「昭和52年1月4日」と書いてあります、古すぎ!
つまりコレ、数年分の貯金にその年のお年玉を合算して購入資金にしたもの。万札7枚握りしめ、雪降る中バスに乗り、新潟の古町にある楽器屋さんに買いに行ったのです。
お店のおやじさん(まだ元気かな?)と仲が良かったので、7万円のギターは2割引+ハードケースは1割引で即決。揚々として帰宅した事を思い出します。
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今のように浪費癖がなかった純真な私でしたが(?)、それでも7万円を貯めるのはたいへんでした。しかし最初からエレキギターを買おうと決めていたわけではなく、漠然と貯金をしていただけでした。
わりと多趣味だった私は音楽以外にも、アマチュア無線や、当時流行っていたBCLという海外の日本向け短波放送に凝っていたりしていました。で、それ用の高価なラジオなんかも欲しかったりして、7万円あったらギターとどっちがいいかなーと楽しい日々を送っていたわけです。平和です。
さて高校一年生が動かす大金ですから、一応は親の許可が必要です。何を買うのかと聞かれ、普段相談などしたことがない母親に悩み(?)を打ち明けました。どっちを買おうかなと…
すると母親の答えは明快です。「人のためになる方を選びなさい」と。
つまり音楽は人のためになる、聞かせる事で人を喜ばせる事ができますよと。ピアノの先生をやっていた母らしい選択です。なーるほど、そういうものか、腑に落ちるとはこの事です。そして何の迷いも無く、私の足は楽器屋さんに向かっていたのでした。
後で思い返してみれば、あの時の母親の一言が無ければ、私が音楽にはまる事は絶対になかった。今は音楽からだいぶ離れた所に居るかもしれませんが、心の中にはいつも音楽が流れていて、ギターやベースを弾く自分が居ます。
音楽は時に私を励まし、いっしょに泣き、笑い、たまに褒めてくれたりします。iPhoneの中には当時の宝がいっぱい入ってて、いつだって私と一緒です。
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時を経て私も二人の父親となり、長男も二男も高校一年の正月を迎えた時、こいつらもそうなるのかな?と思いました。しかしどうも興味の対象が違うらしい。少なくとも音楽は消費するもので、造るものではなさそうだ。
私の時代とは違い、音楽をやる環境は充分なのに、なにかもったいない気がする。もちろん子は子で、自分の世界でチャレンジすれば良い、親はそれに的確なアドバイスをしてやればそれでいいはずだ。
私が母親からもらった一番大きなものは命だが、その次はと言われれば音楽、、、というより、そのように導きチャンスを与えてくれた事だと思う。
その母親とも、後何年いっしょに居られるか解らない。今のうちではあるのだが、あの時はありがとうと言っても何の事だか解かってもらえないかもしれない。