ここに以前から気になっていたCDがあります。
吉田拓郎の「午前中に・・・」です。
引っ越しの準備をしながら聴こうと思って買っておいたのですが、ついに登場です。しかし聞き入ってしまい、ぜんぜん捗りません。。。ハッキリ言って、心に滲みます。
*
このCDに関しては
「日経 Web Goethe」に自身が詳しく語っています。ご存知のように吉田拓郎最後のツアーは残念ながら
体調不良のため中止となってしまいました。つま恋時代を知る私はこのツアーを嬉しく思っていた一人でしたが、志し半ばで中断を余儀なくされファンもさぞかしがっかりでしょうが、誰より残念なのは本人自身でしょう。
日経 Web Goethe でのインタビューは読み応えたっぷりで、ぜひ皆さんにも読んでいただきたい。63歳を迎えたあの吉田拓郎が「老い・加齢」とどう向き合って行るか、それがどうアルバムに反映され、さらにツアーで拓郎は何を問いかけたかったのかが伝わってきます。
しかしエイジング(加齢)をテーマにしたアルバムなんて、聴いたことがありません。しかも発売元は
Avexですからイメージはとことん合いません。拓郎自身も悩んだそうですが、その上で完成したアルバムは流石としか言えません。他のアーチストには到底できない離れ業、実は「がんばった」のではないかと疑いたくなります。
**
朝日が昇るから起きるんじゃなくて 目覚める時だから旅をする
教えられるものに別れを告げて 届かないものを身近に感じて
発売は私が中三の時、当時は何も解らずにただ「かっこいい曲だなー」としか思っていませんでしたが、15年程前からよく旧友達とカラオケに行くようになり、唄える曲を探している時に偶然見つけたのがこの曲でした。
ハモンドオルガンの美しいイントロから一転、ふてぶてしいの絶叫調の歌声が続くこの曲は今聴いても新鮮で、私の心に突き刺さったままです。上記のように歌詞は、世の道理に反し良く解らない状況で何かに引き寄せられながら勝手に物事が進んで行く、良くも悪くも今の私にちょっと当てはまるような情景を謳っています。
その拓郎が今「がんばらない、がんばる必要はない」と説いています。大病から復帰して悟ったからこそ見える何かが歌詞に凝集されています。昨今の楽曲は歌詞が聞き取れないようなものがほとんどですが、これは一言一言がちゃんと聞き取れ、語りかけるように響いてきます。iPhoneで聴いていると道端で泣きそうになるかもしれません。
***
エイジング、我々はそれとどう向き合ってゆくべきなのでしょう。商売上手な方は「アンチエイジング」と称し、いろんな物を売ろうとします。それはそれで良いところもあるのですが、拓郎はそれより重要な生き方を提示しています。
「ガンバラナイけどいいでしょう」
私は今引っ越しの梱包をがんばらなくてはならないのに、拓郎は止めに入ります。無理せず自分らしく行けよと。それは「目覚めの時だから旅を」してきた拓郎が、自然に身を任せつつも自分を見失わない生き方をしろと、今も昔もそんな事を言っているような気がします。
****
さて今私は多少無理はしていますが、幸せです。自分が好きな事を、ある程度オリジナリティを持ってやりたいようにやらせてもらっています。そんな環境に感謝し、自由であるがゆえの苦しみと戦っています。
ここで拓郎が言う「がんばる」とは、たとえば他人を気にして無理をするとか、介護で疲れて自分自身を追い込んでしまうようなタイプの人をさしているのではないかと思います。だとすれば疲れたらすぐ寝てしまうタイプの私には関係ない話しです、がんばるしかありませんナ。
あの当時「人生を語らず」だった拓郎は今、この「午前中に・・・」で人生を語っているように思います。時の流れに逆らわず、あるがままの自然体を大切に、老いるのも病気をするのもあたりまえ、時代を淡々と見つめている拓郎があるような気がします。
しかしやはりがんばれ、吉田拓郎!と言いたい。無理をする必要はないが、そこそこのがんばりはしてほしいし、実はしているはずだ。「がんばらない」というのはたぶん拓郎流のテレなのでしょう。過去がんばってきた人だからこそ言える言葉です。
私達は早くあなたの声を聴きたい。それに私はまだ生で聴いた事がないぞ。そしてあなたの考える「生病老死」とは何かをギターにのせて聴かせてほしい。
吉田拓郎という存在、それはもしかして多くの人にエイジングとは何かを真剣に考えさせるきっかけになるのではないかと思うのです。あ、実はこれ
Open Seminar のちょいネタにするつもりです。とっても大切な話しです。
さてさて、こんな感じで私の
「夏休み」はスタートしています。みなさんはいかがですか?