Act or Die !? in Tokyo では大阪とはコンセプトを替え、最近私が特に強く感じている事を前提でお話させていただきました。
詳しくは以下をご覧いただきたいのですが、これは当日会場で配布した資料の一部で、前日に書き上げたものです。
内容には一部裏付けがない部分があり公開はどうかと思ったのですが、やはりすべての同業者に考えてもらいたい事なのでアップしました。
ここでいう「内向的」とは個人の性格の事ではなく、「業界内向き」という意味です。
とにかく歯科医師は内輪で群れるのが好きだ。その中での自慢大会もけっこうだが、そればかりではますます生活者から離れて行ってしまうだろうという危機感があります。だからある程度治療内容の公開はやるべきだと考えています。YouTubeで症例を公開しているのは、そういう思いからも来ています。
ここで言う識者とは先頃某大学を退官された先生なのですが、政治的に強い繋がりを持っていた方だけに間違いない話ではないかと思います。しかし先の「裏付けが無い」とはこの部分ですので、信じる・信じないは各自の判断にお任せいたします。
歯医者の世界にはたいへん多くの学会があり、それとはまた別に多くの研修会もあります。私はそれを受ける立場にも、行う立場にもなります。これらは一般的に話もお金も歯医者の世界だけで動いており、患者さんに知識や技術が効率的に還元されているとはとても思えません。
そもそも健康保険制度が、研修会で行う高度(!?)な治療についてくる事はありえません。その「高度」というのも、諸外国では一般的な事ばかりなのですから、まずその事を生活者に周知させなくてはなりません。でなくては世の中の優先順位は金融や経済ばかりで、健康や環境は忘れ去られた存在に成り下がったままです。
「そんな事はない」と思った方こそ考えていただきたい、あなたも「健康にはなりたいが、今有る何かを犠牲にしてまでも健康にはなりたくはない」という人なのではありませんか?
歯科医師がこれからとるべき行動は、外向きのベクトルではないか。歯科医師からお金を貰うのは上手だが、患者さんからお金を貰うのは苦手、、、価値を伝える力がないから評価が低いのではないでしょうか。
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平成26年8月8日 日本酒歯科医師会生涯研修
顕微鏡が明らかにした現実に応える
東京都中央区開業 吉田 格
昔から思っていた事だが、最近さらに強く感じる事がある。「歯科医師は歯科界という狭い範囲だけで活動しすぎていないか」と。どういう事か例を挙げる。
とある講演会で勇気ある質問者がおられた。「たいへんきれいな症例写真でしたが、それは患者さんから治療費をいただいたものでしょうか?」、答えは歯切れの悪いものであった。後で訊けば患者さんからはほとんどお金はいただかず、症例発表のためにやり直しや頻繁な写真撮影をさせてもらいたい旨お願いしたものという。
私はそのような「症例造りのための症例」を必ずしも否定する者ではない。開業医にはある程度経済的な余裕は必要だが、大学などでは普通に行われている事ではある。なにより理想像やチャンピョンケースを掲げる事で、歯科界全体のレベルアップを図る事は重要だ。
しかしそこに患者さんは、いるようでいない。治療の意味や価値観は患者さんには共有されていない、だから次に繋がらない。喜んでいるのは歯医者と業者だけ、お金も歯科界の中だけで動いている。これで良いのだろうか。
もう一つ、いわゆる低医療費政策に苦言を呈しない歯科医師はほとんどいないが、それに対し学会などはいったい何をしてきたのか。外に発信せず内輪の自慢大会に終止していなかったか、国にきちんと要望を出してきてたのか。
識者に訊けば、チャンスは80年代初頭にあったという。しかし医科に比べ歯科はまったく消極的で、徹底的にアピールし予算をとり続けてきた医科とは対照的だったらしい。歯科はあまりに内向きすぎた。しかしその医科も今は非常に厳しい状況にある。歯科はあの時やっていたとしても結果は変わらなかったのか、そうとも思えない。
さて以上の二例によれば、日本の歯科界は自己満足的で内向的だと言われてもしかたがない。外に発信する力が無ければ、歯科界に必要な資金が運び込まれる事はないと考えるが、いかがだろう。
今歯科医師がとるべき行動は、外向きのベクトルではないか。そんな思いで新たなビジネスモデルを自分なりに構築してきた。それは顕微鏡が明らかにした現実を、患者や社会にも共有して行こうとするものでもある。そして本日供覧いただく症例は、その過程の一部である。目を奪われるような美しいものはないが、私の一挙手一投足を記録した、やり直しや隠し事のないリアルな日常である。
もちろんその路はいまだ険しく問題点も多い。しかし一つ手にできたことがあるとすれば、それは私が手がけるほとんどの治療はその意味や有効性を患者さんにご理解いただき、それに相応しい対価をいただけるようになったという事だろうか。
さて、歯科界は行動するのか・死を選ぶのか、もはや決して大げさな話ではないのかもしれない。私がとった行動が吉か凶かはまだわからないが、皆様には一つの方法論として今日の話を参考にしていただき、いつの日かこの話を聴けて良かったと思い出していただけるよう、私も努力を惜しまない。