診療室のフロントに置いてある
このアルバム、ご覧になった方も多いことと思います。ウェブ上で公言はしていませんでしたが、一年経過した事を機にちょっとお話いたします。これは私が東日本大震災後に宮城県に
検案(検視・検死・身元確認)に行った時に撮った被災地の写真集です。
震災直後から私の所にも学会や歯科医師会から検案参加依頼がありました。身元不明遺体をご家族の元に帰す、歯科医師である私にできる事はこれくらいしかありません。どうも歯医者は立場が微妙です。しかし居ても立ってもいられない!
ところが「行くなら最低でも一週間、できたら二週間いてください」「交通や宿泊、食事は自分で確保してください」「いつ連絡が行くかわかりませんが、連絡があったら次の日にすぐに出発してください」と、一般開業医にはどれも不可能な話、悔しいな……って。周りの先生方もみな同じ意見です。
しかしとあるツテで、ゴールデンウィーク中に私だけ検案に参加できる事になりました。私はツナギと長靴、それに非常用品を買いこみ宮城県警に赴きました。そこから私が派遣されたのは宮城県利府町と気仙沼市、その後南三陸市にも行きました。
志し半ばでお亡くなりになられた方に手を合わせ、冷えきった顔を動かし、二重に手袋をした手で口を開けます。中に入った土砂を指で取り除き、歯が見えるようにして、歯式(歯に何が入っているかなどの記録)を読み上げます。あぁ、どれほど苦しかった事だろうか………
大人は治療の跡がたくさんありますから、カルテが残っていれば本人照合ができる可能性が高い。ところがその日一体だけ6歳前後と思われる子供のご遺体がありました。一緒にペアを組んだ先生は小児歯科が専門なので「先生、この子は僕にやらせてください!」と即座に照合に入り、涙ぐみながら歯式を読み上げます。
しかしこの子はムシ歯がなく、身元はほとんどわかりません。残っている歯をDNA鑑定に廻します。この子は親元に帰る事ができたのだろうか………
帰りの警察車両の中で感じた異様な疲労感と激しい肩凝り、とくに初日の緊張感は今まで経験した事がないものでした。しかしそんな事よりもぜんぜんたいへんな人達が大勢いる、弱音ははけません。
現場に居ると、警察や自衛隊の方々の活動は本当にすごいと思います。しかし東京に戻って来ると、どうもおかしい。政治はあまりに現場感覚に乏しい。そしてマスコミは多すぎて迷惑だ。
それから原発事故はともかく、自然災害を人災にすり替えようとする人が多すぎる。想定外も想定しなくてはならないなんて、言葉としては面白いが、ではいったいどうすればいいのか?あなたにできるのか?
医療という仕事をしていると、人は自然をコントロールできるものと錯覚してしまう事があります。しかしそれはとんでもない間違い。大自然は大いなる恵を与えてくれますが、しかし時に牙をむく。
それを研究する事は大切ですが、完全に予知したりコントロールする事はできません。自然現象をも機械的に考えようとする人が多いのに驚きます。
それから、この危機においても他人の目を気にしていたり、上からの報告を待って行動している人がいる。救援物資が送られて来ても、どこに分配するのか指示を待っているだけで放置。。。そうではなく、現場事情に即応してテキパキやらなけでば、救われる人も救われない。上にいる人には、それすらも解っていないんだなと思えます。
日本はこの震災で何を学び世界に訴えて行けるのか、日本人の真価が問われる事態です。なのに政治は相変わらず足の引っ張り合いに終止しています。もはや自力でなんとかするしかない、今すべての事に必要な事だと思います。
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この震災で私は今までよりも強く「命」や「自然」について考えるようになりました。そこに人間の余計な意思が入ると、良い方向に行かない事がある、その一番良くない例を今私たちは体験しているのだと思います。
おそらく私が生きているうちに、もう一度くらいはたいへんな地震があるでしょう。その時にこの震災の教訓が生きるか、自分はサバイバルできるかでしょう。しかし自分自身がそんなに変わったかと言えば、ぜんぜん甘い甘い。
だいたい私には想定外を想定できるような想像力はありません。できるのはそのときに99%備える事、慌てず行動できる精神力を持つこと、そして常に自然に畏敬の念を抱き、人と人の繋がりを大切にし、節電に努めるなどモノを大切にする事を徹底する、、、こんな事でしょう。
私たちは立ち止まる訳には行きません。早く復興の青写真を描いて形にできるよう、人々を健康からバックアップしてゆくのが私の仕事なのでしょう。
あの日から一年、ちょっと慣れてしまったこの状況を反省です。被災に遭われた方々に心から哀悼の意を表します。合掌
PS:つい一ヶ月程前ですが、今回の検案に対して感謝状が送られてきました。ありがたくフロントに飾らさせていただきました。