実は私、幼稚園の最後あたりから小学校一年の7月までの約半年間を、両親と共にアメリカで暮していましたが、その時の飛行機がこのDC-8でした。(そんな境遇にあったのは当時としてはまだ希で、周りからずいぶん不思議な目で見られたものです)
この絵はがきはただの搭乗みやげの一枚にすぎません。しかし「僕はこれに乗ったんだ!」という事だけでなく、実は今では絶対にありえない体験をした事でたいへん思い出深いものとなっています。
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これはすでに時効でしょうから書けるのです。実は私、飛行中にスチュワーデスさんに誘われて、操縦席に遊びに入った事があるのです。実際に副操縦席に座り、操縦桿を握らさせてもらいました。もちろん自動飛行中ですので、操縦桿は反応しませんが。
コックピットにはたくさんの計器やスイッチが天井までついており、眼下にはこの絵はがきのような雲が広がります。6歳の私はその光景にしばし感動してしまったのを覚えています。
操縦席には15分くらいいたのでしょうか、私は機長さんやスチュワーデスさんとあれこれしゃべって興奮した面持ちで客席に帰って行ったのでした。
ところが良く考えると、その間私は客席から行方不明になっていたわけです。慌てたのはウチの両親で、客室内のどこを探しても私がいないものですから大慌て、本当に海に落っこちたのではないかと思っていたのだそうです。この時私は始めて知らない人に着いて行くのはいけない事だと気付きました。
しかし後で考えると、操縦室に子供を入れるとは、なんと粋な計らいでしょう。もちろん会社にはナイショに違いありませんが、おそらく一生見る事はできないような光景を子供に見て欲しいと思ったのでしょう。そのクルーでは何回かやってきた事なのではないでしょうか。
残念ながらその後私は別段空の世界に憧れたわけではなく、こうして楽しく歯医者をしつつ、たまの学会や研修で飛行機に乗るわけです。しかしその度に、あの時の操縦室が目に浮かびます。
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そんなJALが、数々の不祥事を繰り返した末、今や存亡の大ピンチだという。
そう言えば気がつくと私もANAばかり乗り、子供の頃のJALのイメージはすっかり遠のいています。あの優しかった機長さんやスチュワーデスさんは今どうしているのでしょう?
がんばれJAL!また子供を操縦席に入れてやれ!それくらいの気持ちがあり、子供たちに夢をあたえられるような心意気がなければ再建はできないぞ!と、新聞を読みながら勝手な事を思うのです。
絶対にパンアメリカン航空みたいにならないでね!